vinvin40- 2012/2/12(日) 00:26

- 2012/1/27
果たして宮本は三島と勝負したかったのだろうか。
金閣寺。
それは三島の、青春への決別の書である。しかしながらこの作品の骨格は複雑で、人が大人になるためのモラトリアムとも言うべき葛藤に、敗戦が若者に与えた痛みとどもりの主人公が持っている孤独感・不幸感をかけ合わせ、そこに、三島が持つ独特の美的感覚を金閣寺を通して投影させながら、放火という業まで持っていく書である。
青春への決別のことだけなら、今日の舞台はある程度の合格点を与えることも出来よう。主人公の森田を始め、彼が出会う人たちそれぞれも、真に迫る演技をしていた。また、マイクによる擬声音を効果的に使ったことなどもひとつの試みとして受け止めたい。
が、しかし・・・・・
三島が表そうとしたこの複雑なもの。
それを舞台で表現するのはそもそも難儀なことであろうと思う。もともと、本として広く読まれている作品を舞台で演る場合、そこに本の感動と同じものがあったとしてもそれでは成功とはいえない。本を越える何かがないと演る意味自体が問われると思っている。
演った宮本の勇気を評価したい。
しかしだからこそあえて問いたい。
宮本は「金閣寺」の中の何を表現したかったのだろうか。
あるいはそのすべてを表現したかったのか。
それとも「三島」を表現したかったのか。
繰り返すが俳優の演技に対しては私はまったく異論はない。宮本が指し示したものを最大限演じたように思う。
ただ、三島の「この作品を通しての思い」を受けての、宮本の「目指すところ」だけが見えなかった。
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『金閣寺』-The Temple of the Golden Pavilion-日本凱旋公演 (ローソンチケット先行販売)
金閣寺 (神奈川芸術文化財団)
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