僕が役者になりたいと思ったきっかけは、中学3年生のときのアメリカ旅行。小さいころからお祖父さん夫婦に育てられ、それまでずっと離れて暮らしていた母親が僕の将来を心配したんでしょう。僕の進学費と思って貯めたお金を渡して「アメリカにでも旅行に行ってきなさい」と言ってくれたんです。
母の知り合いの版画家のおじさんに同行してもらったんですが、それほど真面目な中学生ではなかった僕にとっては、地元の茅ヶ崎が唯一の世界でしたから、アメリカは少しも興味を惹かれる場所ではありませんでした。ロサンゼルスに続いて、サンフランシスコ、ラスベガス、ニューオリンズとまわったあとは、ワシントンに行ったんですが、言葉の通じない国でもありますし、それほど心動かされることはなかったんです。
ただ、1カ月くらいたってニューヨークに行ったころには、ひとりで街に出て、芝居や映画を見に行ったりできるようになっていたんです。そこで、カルチャーショックに出会ったんですね。
意外なことに、それはブロードウェイやオフブロードウェイのミュージカルではなく、一本のよくあるエンターテインメント系のアクション映画でした。
映画なんて、どこで見ても同じだろうと思いきや、映画を見ている観客たちの反応を見て、僕はすごく驚いたんです。
彼らは、面白いシーンではみんながお腹をかかえて笑うし、逆に嫌なシーンがあったりすると平気でブーイングをするんですね。もちろん、スクリーンで役を演じている俳優には、そういうお客さんの反応が届くわけないんだけど、そんなの関係ないんです。つまり、映画を見ることをみんなが心から楽しんでいるんですね。
それで、役を演じることでお客さんをこんなに笑わせたり感動させられる俳優ってすごいなって、単純に興味を持ったんです。
その後、アルバイト先でドラマのキャスティングをしている方たちと偶然に出会い、「オーディションを受けてみないか」と誘われたことがきっかけで、夢がいきなり現実になっていくわけです。だけど、あまりにめまぐるしい毎日だったので、それが自分の実力のおかげとか、素質があったからとはまったく思えなくて、100%運の力だったと思うんです。
舞台の仕事は、テレビや映画でデビューした直後に始めていました。新宿ゴールデン街にいる演劇人の方とつき合って、アングラ芝居に出たりしたこともあったりして。
そんなあるとき、浅草常盤座で『爆走ピエロ~森のなかの浅草』という芝居に出演したんです。ところが、自分でも何をしゃべってるのか分からないような難解なセリフの連続で、テレビや映画を見て僕に興味を持ってくれたファンの人たちが、それを見て目をシロクロしてるのがわかるんですね。アンケートに「聖人くんに会えただけでもよかったです」なんて書かれているのを読んだときは、さすがに空しさを感じまして。それで、自分の言葉で、自分の思いをストレートに表現できる演劇を作ってみたい。そう思うようになって、演劇集団アーリータイムリーズを作ることになるんです。
ただ、演劇の世界にはツテもコネもなかったですから、最初は仲間たちといろんな芝居を見るところから始めました。その結果、劇団ウォーキング・スタッフの『アイアン・マン~エディさんのコブシ~』というお芝居に行き当たって、作・演出の和田憲明さんに「オレたちのために脚本を書いてください」と直談判したんです。
「馬鹿を言え」と、即座に断られましたけどね(笑)。ただ、「興味はある」とは言っていただいて、僕たちの芝居作りに手を貸してくれる約束をしてくれたんです。
結局アーリータイムリーズは、僕が21歳から26歳になるまでの間、計6本の公演を行いました。勢いだけで始めたようなものだけど、与えられた仕事だけでも大変だった僕が(実際、このころは忙しさがピークの時期でした)、初めて自分からやりたいことにアプローチした経験だったのかもしれません。
ただ、そこでの居心地がよかったせいか、その間、他の舞台の仕事は積極的にやってこなかったんです。そんな僕の中で演劇熱が再燃するのは、白井晃さんとドラマで共演したのがきっかけで、2000年に青山円形劇場で上演した『S―記憶のけもの―』として実現しました。このときも、「一緒に芝居やりましょう」という僕に対する白井さんの反応は引き気味で、「急に言われても無理」なんて言われましたけどね(笑)。稽古の途中では、「演出家の言うことを聞けない役者があるか!」なんて白井さんを激怒させてしまったこともありましたけど、その後も『ピッチフォーク・ディズニー』(2002年)、『フォーエバー・ワルツ』(2007年)というふたつの作品を白井さんと作れたことは幸せな体験でした。
あと、KERAさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)に、ナイロン100℃の公演に声をかけていただいたときも印象深いですね。2007年の『犬は鎖につなぐべからず』なんですが、自分ではKERAさんの要求に100%こたえられたかというと、そういう手応えはなくて、ただ無我夢中でした。でも、最後に冗談ともつかず「ウチの劇団員にならないか」なんて言っていただいたときは、とてもうれしかった。
長い間、稽古をしてひとつの公演を作り上げていく演劇の世界は、もともと怠け者の僕には向いてないんじゃないかなんて思うこともあるんですが、その魅力からは逃れられない。要するに、僕にとって演劇は、出会いと再会の醍醐味、これに尽きるんだと思います。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/庄司直人(TFK)











