- 宇梶 剛士(うかじ・たかし)
- 1962年8月15日、東京都生まれ。
広島県安芸郡府中町で育つ。日本最大の暴走族の総長を経て俳優修業をはじめる。錦野旦、菅原文太らの付き人をつとめた後、映画、舞台などで活躍。2007年、金井良信・平野貴大らと劇団PATHOS PACKを結成。旺盛に活動を続けている。
僕の場合、少年院の中で「チャップリン自伝」を読んで俳優を志すようになった、そのことが人生最大の転機だったと言えるでしょう。ただ、転機はその後も何度もやってきた。人生は面白いですね。
まず、僕の舞台デビューのきっかけは、菅原のオヤジさん(菅原文太)のところで付き人をやっていた時代、美輪明宏さんと出会ったことがきっかけでした。『青森県のせむし男』というお芝居だったんですが、当時の僕は、映画で小さな役を演じた程度で右も左もわからない状態です。いただいた役は、美輪さん扮する大正マツという主人公の屋敷に飼われている"美少年"という役。すいません、自分で"美少年"なんていうと変な感じですが、いちおう年齢だけは"少年"を名乗るくらいの資格はありましたのでお許しください(笑)。
全身にラメ入りのオイルを塗りたくり、下半身に女物のような下着一枚を身につけた状態が、唯一のステージ衣装。とにかく無我夢中でしたし、役者として何をすべきかなんてことなど考えることもできませんでした。だけど、意外なことにその初舞台では、まったく緊張せずに公演を終えることができたんです。「お客さんの前に立つことだけはできるんだな」と思えたということは、大きな収穫でしたね。
美輪さんには次の年の『双頭の鷲』という公演でも起用していただいたんですが、そのころの僕は、いろんな演劇体験をしたくて、どこかにチャンスが転がっていないか、ギラギラとあたりを探っていました。そんな僕の気持ちを察したのか、美輪さんが公演を観にきた渡辺えりさんを紹介してくださったんです。
「この子、まだ演技が固いから、鍛えてあげてよ」、確かそんなことで、えりさんは嫌々引き受けた感じだったと思うんですけどね。
今振り返ってみると恥ずかしいことだらけですが、当時の僕は「演技が固い」どころか、「心が固い」というような状態でした。
俳優になるという夢はあったけど、親や学校、それから社会という大きな存在に対する反発心はそう簡単に消えるものではなくて、自分以外の存在に対する不信感を全身から発していたように思います。
そんな状態では、ツッパリのアンちゃんの役だって演じられません。まず、それをやるには、演じる対象となる人物の心の動き、体の動きを客観的に見つめ、分析し、かみ砕いた上で表現しなければなりませんからね。
だから、美輪さんから「鍛えてあげてよ」と言われたえりさんは、頭を抱えていたんじゃないかと思います。ただ、僕にとっては、すべてが貴重な体験でした。単なる客演の俳優としてではなく、劇団員と同じように接してくれましたから。大道具を運ぶトラックの運転から、仕込みにバラシ、その他さまざまな雑用をやりましたけど、ひとつの公演をゼロから作ることの喜びを教えてもらいましたからね。
えりさんという人はとても愛情深い人で、ざっくばらんに話をしてもらえるときもあるんですが、稽古場ではとても厳しい表情を見ることもありました。とても印象深いのは、ある日、稽古をしている途中、隅っこのほうで誰かがエンピツを一本、カリンと床に落としたんです。普段なら誰も気にしないくらいの小さな音だったと思うんですけど、その途端、その場にいたすべての人の神経がそのエンピツの音でビクッとなった。それくらいの緊張感がみなぎる稽古場でした。
そんな環境ですから、固い心のままでは参加すらできない。心の鎧を無理矢理脱がされ、ときには自分の力でそれを脱ぎ捨てたりする場面があり、役者として人間として大きく成長させられました。
その後もいく人かの座長のもとで舞台を作るという経験を積ませてもらいましたが、ひとつの劇団を抱える座長という存在は、父であり、母であり、姉であり、先輩であり、何より同志として理想を追い求める仲間であり、さまざまな場面で目標を与えてくれる存在なんですね。単に「自分より演技がうまい」とか「いい台本を書ける」とか、そういうことはひとつの要素に過ぎなくて、大きな人間力みたいなものに惹かれていくんだと思います。
それだけに、まさか自分が座長になるなんてことはおこがましいことだと思っていました。
そんなある日、唐十郎さんのお芝居に行く機会があって、そこで金井良信という男と出会うわけです。ひと目見て「この男はカタギじゃない」と感じさせる風貌もさることながら、俳優として表現できることが僕には絶対にできないだろうなというものを彼は持っていました。何より、「この男と一緒に何かをやっていくんだろうな」という予感がありました。
それから、たくさんの「仲間」が集まってきて、PATHOS PACKを旗揚げするまでになりました。「仲間」という言葉は、大人の社会ではなかなか流通しない言葉だと思うんですけど、劇団というのはお互いを「仲間」と呼べなければ成立しない集団でもあります。人間というのは、生きれば生きるほど、自分ひとりの力でできることの限界に気づかされることが多いと思うんですが、そうした「仲間」が集まることによって自分の力は最大限に生かされることがあるんですよね。だから、そうした「仲間」たちの胸を借りるつもりで、できる限りの力を出し切りたいというのが今の座長としての僕の気持ちです。これからは、劇団という形態でなければ表現できないことを追求するつもりで、すべての力を出し切りたいですね。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/庄司直人(TFK)












