【注目インタビュー 私のターニングポイント Vol.22】今井 雅之『自分の中の怒りから生まれた『THE WINDS OF GOD』その怒りは、ますます大きくなろうとしています』(掲載開始日:2008年8月7日)

今井 雅之(いまい・まさゆき)
1961年4月21日、兵庫県生まれ。
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。退官後は法政大学を経て、1986年、奈良橋陽子演出『MONKEY』にて舞台デビューを果たす。27歳のとき、自らの代表作となる『THE WINDS OF GOD』のもととなる脚本を執筆。演出、主演をつとめる。現在、俳優として、演出家、脚本家として多方面で活躍中。

『THE WINDS OF GOD』は、売れない俳優が主役を張るための唯一のチャンスだった(今井 雅之)

今からちょうど20年前、『THE WINDS OF GOD』という作品と出会ったことが僕にとっての最大のターニングポイントでした。当時、僕は27歳。自衛隊に入隊した後に大学に進学するという遠回りをしたおかげで、俳優としての修業をはじめたのは遅かったし、プロダクションのオーディションを受けてもことごとく落ち続け、鬱屈した日々を送っていました。

そんなある日、知人を介して出会った演出家の奈良橋陽子さんとの出会いがきっかけで、少しずつ活動の場が広がっていくことになるんです。中でも数億円規模の予算がかかった、あるミュージカルの役をいただいたときはハリキリましたね。何もかもが大がかりなお芝居で、オーディションに受かった俳優は1年もの間、歌や踊りなどのレッスンを受けながら役を作っていくんです。

それだけ長い間、一緒にいれば、俳優仲間とも気心が知れていきます。将来の夢について語り合ったりもすれば、今、取り組んでいる芝居について、意見を交わしたりもする。ちょうどそのころ、僕はニューヨークのアクターズスタジオのメソッドを知って、俳優が感じるままに役を演じる自然な演技に目を開かれたころで、そのミュージカルでの芝居に違和感を感じていた。そんな話をしてみると、同じことを感じている仲間はまわりに多くいたんです。

それでも、演出家の先生に意見するなんて、恐れ多くてできるものじゃない。でも、勇気を出して言ってみようじゃないかということになって、先生に僕らがよく通っていた居酒屋に来ていただいて、話を聞いてもらおうということになったんです。ところが、いざ演出家の先生を前にすると、萎縮して誰も口を開こうとしない。そこで思わずこう言ってました。「先生、僕らの意見をもっと聞いてください。先生の生徒としてではなく、役者として扱ってください」と。勇気を振り絞りましたよ。

それで、「ね?」と後ろに控えていた仲間の顔を見たら、みんなドン引きしてるんです。ビックリしましたよ。自分のためもあるけど、みんなのために勇気を出してハシゴを登ったのに、そのハシゴをはずされちゃったようなものですからね。

初日には7人しかお客さんがこなかった。でも、手応えは十分あった(今井 雅之)

翌日、稽古に行ったときは、もっとビックリしました。それまで、僕がやっていた役は、他の仲間がやることになっていた。それほど大きな役だったわけじゃないけど、僕の役はさらに小さくなって、役名もない「その他大勢のうちのひとり」みたいなものになっていたんです。

正直、もうやめてやるという気持ちもありましたけど、周囲から説得されたこともあって、最後までやり通そうと思い直しました。だけど、役が小さくなった分、仲間の芝居をただ黙って見ているだけの日々が続いて、さすがに気持ちがまいってきた。くやしくてくやしくて、目に涙がたまってくるんだけど、それを悟られないようにしたりしている自分が嫌になったりしてね。

そこである日、決心をしました。「俺、自分で主演の芝居をやる」って。実績も実力もない僕が主演をするには、すべてを自分で作るしかありません。そのためにはまず、脚本を書かなきゃならない。もちろん、そんな経験すらまったくなかったけど、「何が何でもやってやる」という気持ちでした。

そこで、演出家の先生の目の前で、「今日から俺、脚本書きます」と宣言したんです。そのとき書き上げたのが、後に『THE WINDS OF GOD』の原型となる『リーインカーネーション』という脚本でした。

その後、さまざまな紆余曲折があって、ようやく迎えたパモス青芸館での初公演。最初は7人しかお客さんが入りませんでした。だけど、二日目、三日目になって、少しずつそのお客さんが増えていったんです。公演としては大失敗だったかもしれないけど、僕の中では大きな手応えを感じることができました。そこで、再びチャンスを狙って3年後の91年9月、『THE WINDS OF GOD』としてロスアンゼルスのマリリンモンロー劇場での再演につながるわけです。

『THE WINDS OF GOD』との20年。ひとことでいえば「濃い20年」だった(今井 雅之)

だから、ある意味で『THE WINDS OF GOD』という作品は、僕の中の怒りのようなものから生まれた作品だといえるかもしれません。もちろん、それがその後も再演をかさね、自ら演じ、作り続けることになるとは想像もしていませんでした。だけど、僕を突き動かす怒りは、その後も収まることなく、それどころかますます大きくなっていったんです。

例えば、今でこそこの作品には、夢を追うことの大切さ、生きるということの尊さというテーマに賛同し、「子供たちに見せたい」と学校などで上演してくれる人も増えたりしていますが、その逆に、特攻隊という題材からか、思想的に偏った作品だと思われることがいまだに多く、民間のスポンサーが一度もついたことがないんです。2001年9月9日、国内22カ所をまわる全国ツアーを沖縄という場所で終えたとき、僕はある種の絶望感を感じて、もう二度とこの作品を上演することはないだろうと思っていました。

ちょうどそのとき、テレビで見た世界貿易センターでのテロの映像と、その後、ニューヨークタイムズとワシントンポストで報じられた「9.11KAMIKAZE ATTACK」という文字を見たんです。なぜ、こんなところで「神風」という言葉が出てくるんや。言いようのない怒りを感じました。なのに、抗議しようとする人は僕が目にする限りは誰もいなかった。その怒りが再び僕を動かしたんですね。

全編英語脚本・日本人キャスト・スタッフによる映画『THE WINDS OG GOD~KAMIKAZE~』を制作したのは、そういうわけです。2007年12月7日のニューヨーク(現時時間)、真珠湾攻撃のメモリアルディにあわせて映画を公開しました。そして、再び舞台での全国ツアーをはじめます。

正直、初演をした27歳のころと、47歳の今の自分を比べると、体力的には歯がたたないくらいの衰えがあります。1日1回の上演でも、舞台の袖に酸素ボンベを置いておかないと体がもたないんです。でも、今の体力に合わせて内容を変えようとは思わない。

『THE WINDS OF GOD』との20年、「濃かった」のひとことに尽きますけど、これからもより濃く生きていきたいと思いますよ。僕の中の怒りが消えないうちはね。

今井 雅之さんへQ&A

Q:最近、ハマっていることは?
A:これといって趣味のない僕が、唯一続けているのがランニング。柔軟体操を含めて1時間は走ってます。
Q:もし、俳優になっていなかったら?
A:自衛隊で連隊長位までは出世していたかな?(笑) 部下には慕われる隊員になっていたと信じたいですね。
Q:初めて感動した映画は?
A:中学生のとき、ブルース・リーの映画を見にいって、併映の『パピヨン』を見たときは衝撃でした。

これから演劇を楽しもうと思っている人へ

舞台の魅力って、目の前の俳優のツバが飛んでくるような、迫力のあるライブ感にあると思うんですけど、それと同時に、さりげない照明の変化で何もないところに海を見たり、セリフひとつで晴天の空を思い浮かべたり、見る人にある種の想像力を求めるものだと思うんですよね。見たことのない人には、是非、見に来てくださいと言いたいし、何度でも足を運んでもらえるようなものを作り続けたいなと思いますね。

これから演劇をしようと思っている人へ

とりあえず、インスタントラーメンをいつでもおいしく食べられるような根性を養っておくように(笑)。とにかく、暗いのはダメです。酒場で演劇論を戦わすのもいいけど、つねに明るく前向きであってほしい。そのためには、日本だけでなくて世界に目を向けて、一流と言えるものにたくさん触れること。上を目指して努力することの大切さを忘れないでほしいですね。

今井 雅之さんの次回公演情報

「THE WINDS OF GOD ~零のかなたへ~」の画像画像を拡大する
20th Anniversary 2008年JAPANツア薩摩宝山Presents 「THE WINDS OF GOD ~零のかなたへ~」

1988年の初演から数えて20周年にあたる2008年、舞台版『THE WINDS OF GOD』の全国ツアーが開催される。『若者の特権である「夢を追いかけて、力一杯生きていく」ことの素晴らしさ、 大切さを感じてほしい』という今井アニキの熱いメッセージ、君は受け止められるか!?

全国公演
2008年8月31日(日)~11月3日(月)
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取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)