- 成井 豊(なるい・ゆたか)
- 1961年10月8日生まれ、埼玉県出身。
高校時代から演劇に興味を抱き、早稲田大学入学と同時に演劇サークル「てあとろ50'」に所属して、脚本・演出家として活躍。大学卒業後、高校教師をするかたわら、85年社会人サークルとして「演劇集団キャラメルボックス」を結成。87年教師の職を辞し、演劇の道に専念することに。同劇団の公演の脚本・演出を手がける。
演劇キャリアのスタートって、一応は高校時代になるのかな。当時から演劇部に入ったり、クラス演劇を作ったりしてましたからね。
とは言え、僕は中学ぐらいから小説家になりたくて、物書き志望の人間からすると演劇というのは「脚本の立体化」であって、あくまでホンありきの世界だと思っていたんです。まず文学として完成された戯曲があり、それを舞台装置や役者を使って立体化しているだけだと。だから、はじめのころは演劇そのものには魅力を感じていなかったんです。
そんな僕が演劇にのめり込んでしまったのは、高2の時つかこうへい事務所の『熱海殺人事件』を見たから。この作品は書籍化されていて、筋やセリフは知っていたし、観る前は「この脚本を役者がそのまましゃべるんだろうな」ぐらいに思っていました。しかし、僕の目の前で繰り広げられた芝居は、歌うは、踊るは、ものすごいスピードでギャグをするは...脚本が跡形もなかった。
つかさんって稽古や本番中に台本をどんどん変えちゃう人なんですよね。まぁそれはあとから知ったことで、当時の僕としては「演劇、すげ~!」という衝撃ですよ。たとえるなら、時速180キロのバイクにノーヘルで乗っている感じ。舞台からのパワーを2時間うわ~っと浴びっぱなしで、見終わってすぐに「ちゃんと演劇をしよう」と思ってました。
その後早稲田大学に入学して、演劇サークル「てあとろ50'」に入りました。高校生の時に早稲田祭で「てあとろ50'」の公演を見て、すごくいいなと思ったんです。で、これは入団して聞いたことなんですが、高校生の僕が見たその公演の作・演出をした人というのが、つかこうへい事務所の劇団員だったそうなんです。ちょっとした縁を感じましたね。
大学で本格的に演劇をはじめたものの、すぐ壁にブチ当たりましたね。そもそも作家や演出家としての才能がないことを思い知らされたんです。
2年先輩に現「ラッパ屋」主宰の鈴木聡さんがいて、僕は彼のあとを受け継ぐ形になったんですけど、ずっと「鈴木に比べて、成井は...」と言われ続けたんです。もともと30人ほどいたサークルのメンバーも、鈴木さんが卒業して半分に減ってしまいましたし。
はじめて作・演出した『ねむれ巴里』という作品も、ヒドいものでしたよ。ここがあそこがという部分的なダメ出しではなく、100%すべてが最悪。忘れ去りたいし、今の僕が見たら「お前は芝居をやめろ!」と昔の自分に忠告しますね。
ただ、そんな状況の中で『キャラメルばらーど』を生み出せたことは、僕にとって大きかった。このお芝居は3年生の時に書いたもので、スヌーピーやチャーリーブラウンなど「ピーナッツ・ブックス」のキャラクターが登場するんです。
当時の僕は自分が大嫌いで、才能もないし、社交性もない。しかもダメな自分との折り合いをつけることができず、コンプレックスの塊でした。そんな僕の偽らざる思いを主人公のチャーリーブラウンに託して書いたら、相変わらず下手くそなんですけど、まぎれもなく僕の気持ちが入った"本気"の芝居になった。また、物語としてはファンタジーで、書いていてすごく楽しかったんです。
『キャラメルばらーど』を書いたことで「自分はファンタジーをやる作家なんだ」ということに気付けたし、下手は下手なりに本気で書けば観客の心に響く芝居を作ることができるという確信を持てたんです。実際、この芝居がきっかけで、のちに一緒にキャラメルボックスを立ち上げることになる加藤昌史が「てあとろ50'」に入団しましたからね。
でも「自分は才能がない」という思いは常に頭の片隅にこびりついていました。だから、大学卒業後は高校教師の道を選んだんですよ。
最初に赴任したのは教育困難校で、まさにスクールウォーズのような世界でした。すごく荒れていて、学校だけだとおかしくなりそうだった。
で、「週1回でもいいから芝居をしたい」と昔の仲間を集めて社会人サークルとしてキャラメルボックスを結成したんです。僕にとってのキャラメルって、最初は逃避行動だったんですよ。そんな理由もあってキャラメルは楽しい集団にしたくて、厳しいこともあまり言わなかったんです。
でも、加藤だけは違った。彼ははじめからプロ志向だったんです。
劇団は地道な活動を続けて、徐々に動員数を増やしていきました。そして結成から2年後、第5回公演前に劇団総会をしたんです。その時に加藤が「俺たちはプロになるんだ。覚悟を決めろ」という話を全員にしました。さらに僕に対しても「成井さんはずるい。自分は保険をかけていない。成井さんも公務員という保険を捨ててくれ」って言うんです。
まさに痛いところをつかれた感じでしたよ。僕は「才能がないこと」を言い訳に、いつでも教員の世界に逃げ戻れるようにしていた。けど作家がそれじゃ、みんなに示しが付かないと思ったんです。
それで教員を辞める決意をして、キャラメルの活動に専念することにしたんです。当然両親には反対されましたし、「お前には才能がないんだから」と諭されました(笑)。ただ、あのときの僕は、とにかく努力を重ねて、才能の足りない部分を補っていこうという覚悟だったんです。
今も自分に才能があるなんて、これっぽっちも思ってません。でも、僕はものすごい努力家なんです。あと芝居に対しての本気度。この2つは誰にも負けない自信があります。それだけですよ、自分みたいな下手くそが今もこの世界にいられる理由って。
取材・文/谷山宏典(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)












