- 温水 洋一(ぬくみず・よういち)
- 1964年6月19日生まれ、宮崎県出身。
88年、旗揚げ直前の劇団「大人計画」に入団。94年に同劇団を退団するまで主要作品に参加する。その後はフリーの俳優として舞台はもちろん、テレビや映画でも独特な個性を発揮している。また、2008年4月には初の主演映画『伊藤の話』が公開される。
僕のように二枚目でもなく、人一倍の恥ずかしがり屋で、しかも中学生のころのあだ名が「ぬらりひょん」だったような男がなぜ俳優という道を選んだのか、不思議に思う人が多いかもしれません。
だけど僕は、それ以上に目立ちたがり屋でして、人から背中を押されるのをどこかで心待ちにしているようなところがあるんですね。
高校時代に演劇部に入ったのは、まさにそういう理由からでしたし、3年生のときに泉鏡花の『夜叉が池』を上演したときは、セリフをとちったり、照明や美術がうまくいかなくても、そのことが逆に観客の笑いを誘ったりして、「ウケる快感」の虜になってしまったんです。
だから高校卒業後、受験浪人のために地元の宮崎県をはなれて上京してからは、勉強そっちのけでいろんな芝居を見まくりました。当時は東京乾電池をはじめ、野田秀樹さんの夢の遊眠社や鴻上尚史さんの第三舞台などの活躍による小劇場ブームが起こっているころで、とても面白い時代だったのは幸運でした。
結局、大学は名古屋にある福祉関係の大学に進むことになるんですが、それでも暇を見つけては夜行バスに乗って上京し、芝居見物をしていました。そんなある日、4年生になってからの6月のことでしたが偶然、大人計画が旗揚げをする前の準備公演を見たんです。
そのときの折り込みチラシに「8月の旗揚げ公演のキャスト・スタッフ募集」と書いてあるのを見て、オーディションを受けようと決心しました。
名古屋のアパートの荷物は引き払って、カバンひとつで上京。親戚が経営している中華料理屋さんで住み込みで働きながら、夜は大人計画の稽古に励むという日々がはじまりました。
思いきりビンボーでしたけど、毎日が楽しかったですね。
大人計画の初期の芝居はブラックユーモアの色が濃く、僕はその中で身体障害者とか知的障害者の役をよくやっていたんですね。福祉大学の実習などで、そうした人たちに触れたことがダイレクトに役に生かされたわけ。
ただ、一緒に勉強していた友達が公演を見にきてくれたときなどは、「お前はなんていう芝居をやってるんだ!」なんて非難されることもありました。もう少しきちんと見てもらえれば、僕らの芝居が障害のある方を辱めるためのものでないことは、わかってもらえたはずなんですけどね。
そもそも当時の松尾スズキさんの脚本は、障害がある方と電車の中で隣り合わせになった時の「ここで変に親切にしたりすると偽善者になっちゃうのかなぁ」と思ってしまうような心理を浮き彫りにし、風刺するような作風でしたし、僕らもそのつもりで演じていましたからね。
とにかく、そんな感じで無我夢中で芝居にのめり込むうち、ありがたいことに観客動員数も少しずつ増えていきまして、劇団がだんだん大きくなっていく様子をつぶさに見ることができました。
また、4~5年くらいすると阿部サダヲくんや宮藤官九郎くんなど、新しい世代の仲間も増えて、劇団員として、僕はとても貴重な時間を過ごさせてもらったと思っています。
そんな思い出のある大人計画を退団しようと思ったのは、30歳のとき。僕にとって、人生最大の転機でした。
気がつけば劇団員の中で古株になっており、ときには後輩に対して先輩らしい指導をしなきゃならない立場になって、劇団の中での立ち位置が見えなくなってしまったことと、チョコチョコとテレビやCMの仕事を手がけるようになって、映像での表現活動にも興味が湧いてきたのが退団を決意した理由。ただ、フリーの俳優になってはみたものの、3~4年間は仕事がほとんどありませんでした。
32歳くらいまではアルバイトができたんですが、スーパーで値札付けの仕事をしていると、「あの人、テレビに出てた人じゃない?」なんて声を聞くようになって、だんだんとやりづらくなっていき、あとの数年は、後に僕の奥さんになる人の収入にたよっていました。
ただ、本人は意外に楽観的でした。仲間と飲みにいって、お互いを励ましたり、未来の夢を語り合ったりして気分は前向きでしたし、仕事は少ないながらも宮沢章夫さんの遊園地再生事業団をはじめ、村松利史さん、竹中直人さんなどから大舞台に呼んでもらう機会にも恵まれました。2000年に『七人ぐらいの兵士』という芝居で明石家さんまさんに起用していただいたときには、やっと俳優として何とかやっていけるようになっていましたね。
そう考えてみると、僕は人との出会いに恵まれているなと痛感します。
もちろん、その出会いをいい出会いにするには、期待されたことに応えられるよう努力することが大切です。これからも、その努力を怠ることなく、頑張っていきたいですね。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)











