- 麿 赤兒(まろ・あかじ)
- 1943年2月23日、奈良県生まれ。
64年、唐十郎の劇団「状況劇場」に合流。並行して舞踏家、土方巽に師事する。72年には舞踏集団「大駱駝艦」を設立し、「天賦典式」という独自の表現形態で数々の作品を世に出す。その活動は、海外でも広く認められているほか、「山海塾」の天児牛大などを多数輩出している。近年は俳優としてもテレビ・映画などで活躍中。
19歳で上京した目的は、早稲田大学の演劇科で芝居をやるためだった。ところが、大学では机に向かって小難しい演劇論を勉強するばかりでまったく面白くないんです。そんなある日、山本安英さんが主宰する「ぶどうの会」の公演を見て感動して、参加することにしたんですけどね、当時は学生運動真っ盛りの「政治の季節」で、よくも悪くも演劇はその影響を強く受けていた。稽古場で、いつ稽古が始まるか待っていても、上層部の人たちは会議室で盛んに政治論争をしているような状態でね、これといった主張があるわけでもない田舎の演劇青年の私には、なじめる雰囲気ではありませんでしたよ。
そうこうするうち劇団は半年で解散して、私は若い仲間と「変身」という劇団を設立しました。ところが、本番の1日前のことです。警察が私のところにやってきて、逮捕するっていうんです。その1年前、新宿で起こしたケンカの容疑だっていうんですが、「明日は本番なんです」と言っても「(留置所に)泊まってけ」の一点張りで話を聞いてくれない。結局、そのときは代役を立てて何とか公演をしたようだけど、「本番に穴をあけた」というのは役者にとってはとんでもないことで、気まずくなって劇団から足が遠のいてしまった。
その後、何をしていたかというと、新宿に風月堂という喫茶店があって、そこにコーヒー一杯で1日中、ボーッとしてました。この風月堂というところは自称芸術家だとか自称革命家がたむろする一種のたまり場で、お互い「何者だ」という殺気だった視線をかわすような雰囲気があったけど、暇つぶしには持って来いの場所だったんですね。
そんなある日、ツルンとしたゆで卵に目鼻がついたような美少年がやってきて、「僕と一緒に芝居をやりませんか」と言うんです。それが、唐十郎でした。段ボールの切れっ端にチョコチョコッとセリフを書いて、「こういう芝居なんです」なんて説明するところが何とも面白くてね。それで、唐が主宰する「状況劇場」に参加することになるんです。
その一方、同じように風月堂に入り浸っていた女の子から「アルバイトしない?」と誘われて、舞踏家の土方巽のアトリエに出入りするようになっていました。どんなアルバイトかというと、キャバレーをまわってダンスショーをやるんです。ところがホステス目当てに酒を飲みにくるような客が相手だから、ショーなんて誰も見やしない。それじゃくやしいってんで、こっちも全身に金粉を塗りたくって奇抜な踊りを披露するわけです。当時、私は長髪でしたから、髪にも金粉を塗って「金のライオン」なんて勝手に名乗ってね。結局、丸3年は金粉ショーに出演したけど、金にもなったし、体ひとつでものを表現するってことに鍛えられましたよね。
20代はそんなふうに、演劇と舞踏と、二足のわらじを履きながら突っ走っていました。唐と土方さんとの共通点は、どちらもスタンダードな世界から離れた異端児だってことで、それまで誰もやったことのないようなことを自由にやろうとする勢いがありました。そんな彼らに出会えたってことは、とても幸運だったし、今思い出してみても毎日が楽しかったですよ。
「大駱駝艦」を旗揚げしたのは、29歳のときなんだけど、唐の劇団を都合7年で退団してからは、いろんなことに手をつけたんです。 自分の劇団をつくろうという発想は、「唐より面白い芝居がオレにつくれるのか」って考えたら決断できない。そこで、あれこれ声をかけてくる学生運動の強者たちの口車にのって、金儲けをしようってことになってね。
麿プロダクションというレコード会社を作って、山下洋輔のレコードを発売したかと思えば、田舎の農家から米をたんまり買ってきて米屋を開業したり。でも、もともと商売の才能はなかったと見えて、ぜんぜん儲かりませんでしたよ。
幸い、米はたくさんあったから食うには困らない。そこで出てきたのが、「体がありゃなんとかなるだろう」って発想で。劇場にお客を集めて、体ひとつ、むき出しのまま提示することで何かが生まれるんじゃないかというわけだ。今思えばそれが、天賦典式(=この世に生まれ入ったことこそ多いなる才能とする)という「大駱駝艦」のコンセプトの素になる考えでしたね。踊りを踊りながら、売れなかった米を客席にブワーッとバラまいたりして、「食い物を無駄にするな」なんてヒンシュクも買ったけど、これがそこそこの評判をとって今に至るという感じ。
この世の中にあるすべての物は、突き詰めればゴミみたいなもんでね。自分の体を含めて何もかもがゴミだと思えば、何だって表現のネタになるんです。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)












