- 吹越 満(ふきこし・みつる)
- 1965年2月17日生まれ。青森県出身。
19歳で上京し、旗揚げして間もないWAHAHA本舗に入団。その後も劇団活動のかたわら、ソロとしてさまざまなパフォーマンスを展開。99年にWAHAHA本舗を退団した後も、映画『SF サムライ・フィクション』、『たそがれ清兵衛』、『母べえ』、『リアル鬼ごっこ』などの映画をはじめ、テレビドラマ、舞台など多方面で活躍している。
WAHAHA本舗のオーディションを受けたのは、まったくの偶然で。
実は青森から上京してすぐ、別の劇団のオーディションを受けているんですが、あっけなく落ちたんです。それで数週間くらい、バイトをしながらブラブラしているとき、たまたま旗揚げ公演を見て、「入団したいんですけど、入れてください」と電話したのがオーディションを受けたきっかけ。
後から聞いた話では、そのとき15人の応募があって、やってきたのが7人だったそうです。で、採用されたのが僕と、後に「WAHAHA本舗の歌姫」として活躍することになる梅ちゃん(梅垣義明)のふたりでした。
この劇団は、他と比べて特殊な劇団でして、まず公演前の稽古場に台本がないんです。脚本家の執筆が遅れているとか、そういうありがちな理由ではありません。
稽古場にメンバーが集まって、「さぁ、どういう芝居をやろうか」と話し合うところからすべてが始まるんです。で、誰かが「こういうの作ってきたんだけど」とアイデアを出せば、その場で配役を決めて演じてみせて、それが面白いか面白くないかをディスカッションしながら作っていく。
とにかく、こうしてゼロから芝居を作っていくというのは大変なことなんですが、当時の僕はまったくのシロウトでしたから、自分がとんでもない劇団に入ってしまったと気づくのは、それからずっと先のことでした。
僕は、地方からやってきた劇団員のくせに、それほど熱心なアルバイターではなかったんですが、それは、いかに面白いアイデアを出せるかということを毎日、必死で考えていたせいかもしれません。
本当にこのころは、アイデアをくれる人がいたら、その場で1万円払ってもいいとさえ思ってました。
入団から3年くらいたったある日、本公演で僕がひとりで演じるネタをまかされたんです。
もともと自分が発案したネタではなかったけれど、「お前、やってみる?」と演出に誘われて、自分なりのアレンジを一生懸命考えて公演に臨んだんですが、これが、まったく受けなかったんですね。
それでも東京公演の何日間はなんとかやり続けたんですが、さすがに地方公演ではその場面がまるまるカットされてしまった。
落ち込みましたね。笑いを取れなかった自分が恥ずかしかったし、まわりから指摘される前に「この場面、カットしてください」と申し出るくらいのことに気づけなかった自分が不甲斐なかった。
それで、みんなの前で、「自分ひとりでライブをやってみようと思います」と宣言しちゃった。 引っ込みのつかないところに自分を追い込んで、そこで何ができるのかを見てみたかったのかもしれません。
実はそのライブが、今につながる「フキコシ・ソロ・アクト・ライブ」としてシリーズ化していくわけですけど、最初はそのつもりではなかったんです。というのも、大風呂敷を広げてはじめたそのライブは、自分では決して納得することのできない、大失敗のライブでしたから。
一度ならず、二度も失敗を重ねてどうなったかというと、今度は隔月くらいのペースでライブハウスを押さえ、無理矢理にでも新作をかけ続けてみるという無謀なことになってました。
そうなると、キチンと完成した新作を隔月で発表していくなんてのは絶対に無理な話で、まだアイデアの段階でしかないものをお客さんの反応を見ながらかけていかなきゃならない。
でも、今考えてみればこの経験は僕にとってのターニングポイントともいえる大きな体験でした。 というのも、その結果、今までの自分からは絶対に出てこなかったような表現方法が蓄積されていきましたから。
もちろん、その中には、未完成のまま蓄積されてしまったものもあるんだけど、そうやって、いいこと悪いことの両方がたくさん出てきたことで、「オレって、こういうのが好きなんだな」ってことが明確に見えるようになった。 まぁ、途中から年1回くらいのペースになったとはいえ、このライブもとうとう19回目を迎えることになったというのは自分でもあきれますけどね。
こんなに大変なことをなぜ続けてきたのかと聞かれれば、「辞めるきっかけがなかった」としか答えようがない。本当に、公演では毎回辛い思いをするんですけど、やり終えてみればやっぱりホッとするんです。それで、「じゃあ、今度は何やろうか」と考えている。
ある意味、馬鹿なんですけど、その馬鹿さ加減を磨かれたおかげで、僕はこの俳優という仕事をここまでやり続けているのかもしれません。













